颯爽退勤日記

日々の考えごととか、ねことの日常とか

やっぱり自分も社会人大学人見知り学部だった

完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込 (角川文庫)
 
表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

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ナナメの夕暮れ (文春e-book)

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正月に若林さんのエッセイを3冊読んだ*1。中でも最初のエッセイ本「社会人大学人見知り学部卒業見込み」は共感するところが非常に多くて、自分も痛いな…と再認識する反面、肯定されたようで嬉しかった。

楽しさ

昔誰かに「何してる時が楽しいの?」と聞かれて、毎日つまらねーなと腹の底から感じていたのでなかなか答えられなかった。〜「草野球で三塁ベースを蹴ってホームに向かう時」と答えた。共感は全く得なかった。

高校を卒業して、何かに所属することから縛られてから、基本的に人と関わることに楽しさを見出せなかった。

というか大学生になって一人で、自分の価値観で過ごすということを知って、今までの学生生活は楽しかったからあのように過ごしていたのではなく、クラスや部活に所属しなければいけないという概念の中で上手く世渡りしていただけだったんだなということに気づいた。

人付き合いは別に苦手だとは思わないけど、楽しいとは思わない。だから大学に入って特に何かに所属するという概念が自分の中で自由になった19歳以降、極端に喋る人が少なくなった。喋りたいとも思わなかった。

自分の想いとか、何がやりたいとか、パーソナルな部分を喋るのはストレスだった。

アルバイトとかインターンとか、業務に関することであれば全くストレスは感じなかった。

単純に友達と会話する、ということがあまり楽しくないのだ。

この感情は正直誰にも打ち明けられなかったのだけれども、若様が近しいことを言及してくれていた。

「君はなんでも俯瞰で見てしまうから楽しめないんだよ」 楽しいという気持ちはいつも内側から湧いてきて、日頃からぼくにこびりついている俯瞰の目線を徹底的に消失させる。

あー、これなのかもしれない。 パーソナルな部分を友達と喋る時、「どう思うのかな、」とか「引かないかな、」とかばっかり考えてしまい、思ってもないことばかり喋ることが多い。俯瞰で自分を見ている。

ちなみに最近、ラジオとかアニメについて話せる友達が初めて一人できた。この人と喋る時はとっても楽しい。どう思われるかとかは全く考えていないし、そもそも自分のことなんて話していないから。

僕らのような人間はネガティブで考えすぎな性格のまま楽しく生きられるようにならなきゃいけないんですよ。性格は形状記憶合金のようなもの。変えるんじゃなくてコントロールできるようになればいい。

性格は形状記憶合金ってとっても良いですよね。一番好きなフレーズです。コントロールできるようにやっていきましょう。

好きなことだけについて喋れるお友達が最近は欲しいかな。

失恋

社会や世界から何も認められていない気になっていたぼくは、彼女に承認されるということが唯一のこの世に存在していい理由だったのではないか?

(略)

だから、フラれた次の日に「この世にいてもいいビザ」を失効したような気持ちになっていたのだ。だから、世界が何食わぬ顔で連続していることが不思議だったのだ。彼女に認められずしていかにこの世に存在してもいい理由を生み出すかを考えた。結論は、もらえないのだから作るしかない。というものだった。

本の中で一番共感しすぎてもう恥ずかしかった。

大学に入って1年経たないぐらいに当時付き合っていた彼女にフラれ、それはもう何すれば良いのかわからないぐらい毎日を過ごす理由がなかった。

まさに「この世にいてもいいビザ」を失効したような気持ちになっていたのだろう。働いていないし、何にも価値を生み出していない人間だったから(今も多分そうだから頑張りたい)彼女からの認識が毎日を過ごす理由だったのだ。

こんなこと書くのも憚られるくらい冷静に見ると痛いし恥ずかしいのだが、そう記憶しているのだから仕方がない。

今だから思うけど、自分の欠落感を彼女に求めていただけで、結局は自分のための彼女だったんだろう。

自分に自信がつくと一人で生活ができる。一人で生活ができるようになってやっと人と付き合えるんだなってことに初めて気づいた。

これだ。まだ一人で生活しなきゃいけないですね、頑張りましょう。

自己防衛

強い精神を持っている作家さんのエッセイが並んでいて、流されない価値観を持っている主人公の小説が並んで、自分を変えようとする自己啓発本がびっしりと収まっていて、確信に触れさせない防御壁のようにそびえ立っていた。 いつか自分が強い人間になれるんじゃないかと今の自分から目を背けて、今もまだそんな調子で足掻いているんだな。

「ネタ帳」というエッセイの一説。本棚のくだりはまさに自分も思っていて、本なんて読んだって結局自分の根本は変わらないのに、なりたい理想の自分を本を通して作ったような気になる。お金を出して買って、嫌な自分を本の中の理想の自分で上塗りしている気分になる。

まあでもそんな甘くないわけで。ずーっとダイエット本と自己啓発本が売れ続けているのは、たった本一冊では何も変わらないことを証明している。

文中には、

ちゃんと降参して、理想を追う道から降りよう。おそらくそれが正しい。だって、ちょっと降りてみたら今日がくっきり見えてしょうがない。

と締められていたけど、自分はまだ若い(と思っている)ので、理想もほどほどには追い続けようと思います。でも別に降りてもいいんだよ、といつでも言えるようにしておきます。

LINE

LINEグループに関する話。たりないふたりでも有名な話です。

その二十七という数字が、いったん目を通さないと消えないという事実が嫌だった。そして、既読したが何も発信しないと自然に興味のなさが伝わってしまうという、その螺旋に巻き込まれるのも嫌だった。いや、正直に言おう。心の底から「知らねーし!」と思った。

LINEグループの通知が嫌 → 通知OFFを発見 → でも数字は出る → 数字も消せるらしい → でも大事な連絡も他に来るから、数字を消すことはできない → 退会するか? → 「〇〇さんが退会しました」と出るらしい、なんか他の人に変に思われそう → 他の人に自然に自分を退会させるようなシナリオ考える → 結局面倒くさくなって普通に退会 → 誤作動と思われてまた招待が来る→ 「めんどくせえ」となって携帯を放り投げる

まとめるとこんな感じ。全く同じ流れで思考を巡らせた記憶があるし、自分は退会できたものとできなかったものがあるけど、共感がすごい。

まあ今はもうLINEで無駄なグループはそんなに作られないし、必要最小限しかLINEは使わないし、業務はSlack・messengerが多いし、割と快適なチャット生活を送れていると思います。

おわり

書いてみると、自分が社会に合っているとは言い難いことを晒しているようでいつか闇になる文章。

 

*1:リトルトゥースだけど今まで読んでいなかったことからわかるエセリトルトゥース